旬彩もろきち

料理研究家や料理人、料理を愛する人のために、食の魅力や食文化の知識を発信します。また、飲食店経営のための経営学的知識や、ワンランク上の料理をするための科学的知識もあわせて紹介します。

日本カレーの歴史とアヒデガジーナ(Aji de gallina):レシピ付き食文化講義3

f:id:morokitch:20191025160615j:image

 こんばんは、morokitchです。今回は「アヒデガジーナ」のレシピを紹介しつつ、カレーから食文化を考えてみます。

 日本のカレーの歴史

皆さんは不意にカレーが食べたくなることはありませんか?初期欲を刺激するスパイシーな香りととろっとした深いコクのある味が、少し思い出すだけでほしくなってしまいますよね。日本のみならずイギリスやペルーでもそれぞれの土地に根付いたカレーが愛されており、老若男女問わず絶大な人気を誇っています。どうやらカレーには我々人類を魅了する魔力があるようです…。

 

ところで、日本にあるカレーはイギリスから流入したものです。本来のカレーはインドが発祥で、とろみは全くなく、シャバシャバとしたスープのような料理でした。16世紀にイギリスが東インド会社を設立したのをきっかけに次第にインドの食文化がイギリスに流入するようになったと考えられえており、18世紀後半になってやっとイギリスにカレーが伝わったそうです。

カレーのスパイシーな香りはイギリス人たちをすっかり虜にしてしまったようで、挙句の果てにはイギリス海軍の水兵たちも「船の上でカレーを食べたい」と言い始めたそう。しかし、船の上は波の揺れが大きく、このままではシャバシャバで熱々のカレーをこぼさないように気を付けながら食べなければなりません。これでは折角の食事の時間が落ち着けないということで、小麦粉によってとろみをつけてこぼれにくくしたといわれています。

日本に伝わったのはいわば「イギリス水軍式カレー」であり、それを日本の食材で作れるようにアレンジしたものが「日本のカレー」の始まりです。当時は肉食が解禁されていなかったので、肉の代わりに鯛や海老、カエル等の肉を『イギリスのカレー粉』で煮て、仕上げに小麦粉を加えることが明記されています。

f:id:morokitch:20191027073746p:plain

カレーはイギリスを経由してインドから日本まで伝わった

参考)明治5年に出版された『西洋料理指南』という本からレシピの抜粋(一部書き換えて読みやすくしています)

「カレー」の製法は葱一茎、生姜半個、蒜(にんにく)少しばかりを細末(みじん切り)にし、牛酪(バター)大さじ一を以て煎り、水一合五尺(270cc)を加え、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙等のものを入れてよく煮、後に、「カレーの粉」小さじ一を入れ煮る。西洋一字間(たぶん一時間したらということ)、已に熟したるとき(煮詰まってきたら)、塩を加え、また、小麦粉大さじ二を水に溶きて入れるべし

※さらに料理人目線から補足。スパイスは油で炒めて香りを引き立てて使うのが定石ですから、カレー粉を炒めずに直接湯に入れてしまうのはスパイスの何たるかがわかっていないことを示しています。ネイボッブと呼ばれるインドでお金を稼いで帰国したイギリス人(成金インドかぶれ)たちが、形式的にしかインド料理を模倣できていなかったことがうかがえます。

 

そういえば、じゃがいもが入っていませんよね。じゃがいもはペルー発祥で、ヨーロッパには16世紀後半、日本には1600年ごろに輸入されました。

ごつごつした見た目と淡泊な味が輸入先の食文化になじまなかったようで、ヨーロッパはでは「悪魔の根っこ」なんていうあだ名をつけられたそう。それもあってか、16世紀に持ち込まれたにもかかわらず、一般に浸透するまで2世紀ほども時間を要したといわれています(長くなるので詳述しませんが、じゃがいもは栄養価が高く栽培が容易であり、貧困層を救う食材となりえます。それに気づいた有識者によって西洋に広められ、偏見を克服したといわれています)。

日本でも、じゃがいもはなかなか料理に登場せず、カレーの具材に加わったのは、イギリス海軍のカレーレシピが伝わってから26年も後の明治31年頃でした。なお、明治36年には文明開化によって肉やカレー粉も大衆向けに販売されるようになりました。そのころになってようやく「現代の日本のカレー」が確立されたようです。

アヒデガジーナのレシピ

さてさて、一方で、ペルーのカレーはどうでしょうか?

歴史的側面に目を向ける前に、アヒデガジーナの作り方を見てみましょう。

 

f:id:morokitch:20191025160615j:image

材料4皿分

鶏むね肉:1枚

玉ねぎ :1/2個

食パン:1.5枚

牛乳:500mL

アヒアマリージョペースト:大さじ2

アヒパンカペースト:小さじ1

ターメリック:小さじ1

パルメザンチーズ:大さじ1

ご飯:2合

ふかしたじゃがいも:2個分

 

 

レシピ 

  1. 鍋に水を800mLと鶏むね肉を入れて、煮汁が半分以下になるまで茹でる
  2. 鶏肉を取り出し、手で細かく裂く(包丁でそぎ切りにした後に叩いても良い)
  3. フライパンにオリーブオイルを敷き、みじん切りにした玉ねぎとアヒアマリージョペースト、アヒパンカペースト、ターメリックを炒める
  4. フライパンの中身をミキサーに移し、食パンと牛乳を加えて混ぜる
  5. 鍋にミキサーの中身と鶏むね肉を移してパルメザンチーズを加えて温め、塩で味を調える
  6. 皿にご飯を盛り、ふかし芋を並べた上にアヒデガジーナを盛り付けて完成

 

今回の写真には、トッピングとしてウズラの茹で卵、オリーブ、アヒアマリージョを使っており、アヒアマリージョは直火で炙ることで香り高く仕立てています。ピリッとすまろやかな口当たりで、日本人の口にも合う味わいです。ピーカンナッツを加えることもあるのですが、手に入らない場合はクルミカシューナッツでもよいでしょう。

美味しく作るコツは何といっても鶏肉から上手に出汁を取ること。中途半端に茹でたくらいではおいしくできないので、20~30分くらい時間をかけてむね肉をじっくり煮込みましょう。家庭によってはセロリを入れて出汁を取るところもあるようです。

 

 ペルーのカレーの歴史

 レシピにあるように、アヒデガジーナは出汁やスパイスも使いこなしており、もちろん現地の唐辛子も効果的に組み合わせています。そして、特筆すべきは小麦粉よりも付加価値の高いパンを使ってとろみをつけていることでしょう。当時の「生活水準」が西洋よりも低かったペルーで、どうして「カレー水準」が西洋よりも高いという逆転現象が起きているのでしょうか?ペルーの主食はじゃがいもと米だったはずですが、パンはどこから来たのでしょうか?

その答えが、第一章で言及した16世紀のヨーロッパへのじゃがいもが流入にあります。1532年、スペインのコンキスタドール(征服者)であるピサロという人物がペルーで栄華を極めていたインカ帝国を陥落させて植民地化に成功しました。金銀や香辛料の獲得が目的であった彼らは、ペルーの多種多様な植物を自国へ持ち帰り、その中にじゃがいもも入っていたのです。

パンがペルーに浸透したのもこれと時期を一にします。というのも、征服後にはスペイン人がペルーに居座ることになります。彼らの主食はパンですから、やはりペルーにいてもパンが食べたくなるものです。そこで、現地のペルー人たちにかまどを作らせて、創意工夫を凝らしたパンを焼かせ、食べていたのです。今となってはペルーではいつでも焼き立ての美味しいパンが食べられていますが、あくまで主食はジャガイモや米。アヒデガジーナが作られ始めた当時は、わざわざカレーにとろみをつけるために小麦を製粉しようとは思わなかったでしょう。小麦粉はパンの前駆体でしかなく、とろみをつけるのに最も適した食材が、時間がたって固くなったパンだったのだろうと想像がつきます。

つまり、ペルーは唐辛子やじゃがいも等の食材をスペイン経由で西洋に送り、逆に、そこからパン作りの文化を受け取ったという形になります。

f:id:morokitch:20191027073858p:plain

インカ帝国の征服によりペルーとスペインで食文化の交換が起きた

 

この交換が完了した時点で、ペルー・スペイン、少し遅れて日本に同じ食材がそろったことになりますから「ご飯にかけて食べられる一番おいしいルゥ」を求めて試行錯誤した時に全く同じカレーにたどり着いても何ら不思議ではありませんよね。それでも、ペルーと日本ではこんなにもカレーの様式が異なっているのですから、食文化の差とは強力なものです(今やイギリスと日本ですらカレーの様式に差があります)。

 

まとめ

日本は、西洋からカレー粉と肉を、ペルーからジャガイモを仕入れることで現在のカレーを獲得しました。一方で、ペルーは西洋からパンを仕入れて現地の肉や香辛料と合わせてアヒデガジーナを作りました。

「ご飯にかけて食べるルゥ」というコンセプトはほぼ同じなのに、我々の目からみるとアヒデガジーナは特殊な料理に見えてしまいます。同じ食材が手に入った時点から今にかけてで日本カレーとペルーカレーがここまで異なる料理に成長したのは、間違いなくその時点までに築き上げられてきた食文化観の差といえるでしょう。

 

ここからどのような発想が得られるでしょうか。

例えば、閉鎖的な環境で料理修行してきたフランス人・中国人・日本人のシェフを一人ずつ招いて文章だけで書かれたカレーのレシピを渡せば、似通ってはいれども三者三様の料理が出来上がることが予想されます。これは、それぞれの食文化観(いわば伝統)が異なっているから生じる差であり、カレーの異なる進化の様相を微分した結果に等しいでしょう。

つまり、よく「どこそこのフレンチがよかった」とか「最近食べた中華料理が」などと話をすることがあります。全部とは言えませんが、その料理屋で使われている食材は日本で手に入るものばかりです。つまり、私たちが「フレンチ」や「中華」として認識しているものは、用いる食材の差ではなく、結局のところ、料理の際の「料理人のちょっとした意識や認識(=美味しいの判断基準)の差」でしかないのかもしれません。

 

こう考えると、逆のことも言えそうです。

例えば、あなたはアヒデガジーナのレシピや味を知ってしまったので、今あるカレーをもっと美味しくする工夫をできるようになりました。これは、あなたの食文化観が「生粋の日本人」のそれから遠く離れていっていることを意味します。また、あなたが生まれてからマクドナルドのバーガーや餃子の王将天津飯、或いは、コンビニの中華まんを「美味しい」と感じた瞬間にも、あなたの食文化観はじりじりと太平洋や日本海の外側に向かってシフトしているのです。

さらに、あなたの「美味しいの判断基準」が変わるのは小さな変化かもしれませんが、同様にたくさんの日本人が外国料理を美味しいと感じかねない環境で生きています。今この瞬間にもたくさんの日本人の子供がマクドナルドのハンバーガーの美味しさに感動しているのです。

「この刺身醤油、ごま油を入れたら美味しくなるかも」なんていう発想を少しでもしたことがありますか?日本の食文化観(=美味しいの判断基準)は、どこかに「和」を秘めていながらも、すっかりグローバル化しているかもしれません。

あれ?となると、あと何百年もすれば世界中の食文化観が収束して新しい料理が生まれなくなってしまうんでしょうか?いったいその時に作られる料理はどんなものなのでしょうか?

 

それともそんなことは起こりえないのでしょうか?では食文化観の収束を妨げてくれるのは何なのでしょうか?国家間の貧富の差でしょうか…?

 

 

※読んでいただきありがとうございました。記事中で紹介したアヒデガジーナの調理に使うペルー食材についてはこちらの記事をご参照ください

morokitch.hatenablog.com