旬彩もろきち

料理研究家や料理人、料理を愛する人のために、食の魅力や食文化の知識を発信します。また、飲食店経営のための経営学的知識や、ワンランク上の料理をするための科学的知識もあわせて紹介します。

肉じゃがは和食ではない?和食の定義とは:食文化講義2

母の味の代名詞ともいえる肉じゃが。

和食の神髄である出汁をベースに、じゃがいも、人参、豚肉や牛肉、きぬさや。家庭によってはこんにゃくを入れたりニンニクやショウガで味を引き締めたりと、非常に多様性に富んだ国民的料理です。

 

しかし、少し歴史を振り返ると、肉じゃがを「和食」として扱うことに疑念が生じます。今日は、肉じゃがを題材として和食が何かを再確認し、これからの和食がいかなる運命を歩みうるか、その可能性について議論したいと思います。

 

和食の4つの特徴について

2013年の12月、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。

その際に和食の4つの特徴が提示されました。

  1. 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
  2. 健康的な食生活を支える栄養バランス
  3. 自然の美しさや季節の移ろいの表現
  4. 正月などの年中行事との密接な関わり
 

 

農林水産省が公表しているページで詳細を見ると、日本で育まれた食文化の各要素が相まって「無形文化遺産としての和食」を構成しているということがわかります。

http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/ich/

 

この中で今回注目したい特徴は、料理の構成に言及している2つ目です。『2.健康的な食生活を支える栄養バランス』の項目の説明には下記の文言が記されています。

 

『一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスと言われています。また、「うま味」を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、日本人の長寿や肥満防止に役立っています

 

なぜ「和食は健康的」といえるのか?

これには科学的解釈を加える必要があります。

まず、ヒトは塩味に敏感に反応します。全く塩を使わずに作った煮物を想像してみてください。きっと「味が薄い」とか「美味しくない」と感じるはずです。

煮物に限らず、醤油をつけない刺身、素焼きの椎茸、タレをかけない納豆、茹でただけの豚肉…どれも同じように何か物足りないと感じるはずです。

 

逆に、塩だけなめても「美味しい!」とは感じませんよね。

つまり、ヒトが物を食べて美味しいと感じる条件には「塩味+油脂」または「塩味+旨味」、或いは、「塩味+旨味+油脂」という構図が必要なのです。言い換えると、ヒトは塩味・油脂・旨味の相乗効果に敏感に反応し、それらを好んで食べる習性があるのです。

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ヒトが美味しさを感じる領域

無形文化遺産の2つ目の特徴では、日本人は「塩味+旨味」のパターンを使った料理が得意だと主張しており、それが長寿の秘訣だというです。

 

現代科学では「油脂や旨味は塩味の感覚を増長する」ことが明らかにされています。

例えば、濃い塩水と薄い塩水の2つがあったとして、薄い方にだけ旨味を加えると濃い塩水と同じくらい塩辛く(美味しく)感じるようになるということです。油脂に関しても同じことが言え、塩と小麦と水で作った団子に、油脂を加えるとより塩辛く(美味しく)感じます。

要するに、油脂や旨味には「減塩効果」があるのです。

 

 

また、現代科学は、油脂を過度に摂りすぎると、肥満や高血圧のリスクが高まる

ことまで明らかにしてしまいました。この飽食の時代、減塩するにしても油脂を多用するのは良くなさそうです。

ここで、世界の料理傾向を大雑把に分類してみましょう。

  • イタリア料理:「塩味+油脂(オリーブ油)」
  • アフリカ料理:「塩味+旨味(肉)+油脂(肉)」
  • 中華料理:「塩味+旨味(肉)+油脂(肉、揚げ)」
  • 日本料理:「塩味+旨味(昆布、カツオ)」

こうして比べると、日本料理(和食)は油脂の使用感が低く、健康的に見えますね。

 

※ほかに減塩効果のある成分としてハーブの香味もあります。その観点からすると、洋食も健康食になりうるという主張はもっともだと思います。

 

肉じゃがは和食ではないかもしれない?

ところで、肉じゃがはどうでしょうか?

油脂の少ない魚ではなく牛肉や豚肉を使っているため、ほかの和食ほど健康的であるとは言えないかもしれません。それに加え、鮮度が重要な食材は使っていませんし、じゃがいもも人参も肉も季節を問わず年中出回っています。加えて、正月や七夕などの年中行事とも関係ありませんから、肉じゃがは「無形文化遺産としての和食」に含まれる4つの特徴をどれひとつ満たしていません。

 

肉じゃがを和食の舞台から引きずり降ろそうとする理由はこれだけにとどまりません。

そもそも、じゃがいもは南米が原産の食材で、日本に流入したのは1600年ごろです。しかも、その淡泊すぎる味は「素材の味を生かす」和食の調理法とは相いれず、なかなか民衆に広まらなかったといわれています。

その後、文明開化や戦争を経て、日本に「肉食文化」と「イギリス海軍式のカレー」が伝わります。この異国の料理であるカレーを食べた日本人が「旨味の強い肉と一緒に食べればじゃがいももイケるじゃないか」と気づいたわけです。

「昆布出汁ベースの減塩料理の技法」という下地があれど、「肉とじゃがいもを合わせる」という知恵を得ない限り、肉じゃがは誕生しなかったのです。

 

つまり、「肉」も「じゃが」もそれらを合わせる「肉じゃが」も日本古来からの風土によって育まれた食ではありません。

 

和食とは一体何なのか

このような「肉じゃがは和食ではない」という態度の行きつく先は

「肉じゃがは広義的な和食(日本の食文化)であるもののユネスコで認定されるような狭義的な和食(日本に古くから伝わる食文化)ではない」となるでしょう。

 

しかし、これはおかしな話です。出汁巻き卵を作るための油も輸入品ですし、突き詰めれば米すら朝鮮からの輸入品です。外国由来の文化を否定してしまうと、もはや和食は成立しません。よって、和食そのものに広義や狭義という概念を当てはめるのはナンセンスに思えます。

 

これまで肉じゃがが和食ではない可能性を示唆してきましたが、肉とじゃがいもを昆布出汁で煮込む国が日本以外にない以上、肉じゃがを和食と分類しないわけにはいきません。たいへんな回り道をしましたが「肉じゃがは和食である」が結論です。

 

では、このような結論を導いた裏側の本質は何でしょう。

 

私はこれを「伝統の進化」であると考えます。

『食の課外授業』などを執筆された言語学者文化人類学者の西江雅之先生は、伝統という言葉を、我々が目の前の文化の価値判断をする基準として定義されています。

すなわち、伝統は守ったり固執したりするための過去のものではなくて、これから新しいものを受け入れたり作ったりするためのよりどころであるという、むしろ未来に向けた言葉だというのです。

この立場から考えると、肉じゃがは、日本の出汁の技術を下地として生まれた新しい和食だといえます。

 

この本質を知ることで和食料理人が覚悟しなければならないのは、これからの和食の伝統の進化です。和食の伝統による審査をパスした肉じゃがは、我々の家庭料理として深くその根を下ろし、今度はこれから新しく出現する和食を審査する側へと回ってしまいました。

ゆえに和食調理人は、守ってきた出汁や包丁技術と食文化をもって、これからますます海外から流入してくるであろう食材たちを「和の伝統」の中に落とし込む必要があるかもしれません。

そのような状況に直面した際に、前と後ろのどちらに伝統を見るかという二派にわかれゆくのは自明でしょう。

 

あくまで、今回の記事の内容は一個人の意見でしかありませんし、伝統の捉え方に正解はありません。

しかし、この記事で紹介できた内容が少しでも、読者の思考の糧になれば幸いです。